自民党総裁選に勝利し、第102代首相に任命された石破茂首相。
石破さんは、永田町では”愛妻家”としても有名です。
奥さんの石破佳子(いしばよしこ)さんとの出会いは慶應義塾大学の同級生で、石破さんの一目惚れだったそうです。
佳子さんは、女性の社会進出がまだまだ厳しい時代に、総合商社の5本指に入る丸紅に就職をしたエリートでした。
結婚後は、石破さんの政治活動の最大の功労者で、地元鳥取では、石破さんよりも人気があるそうです。
今回は、石破茂さんと妻・佳子さんの馴れ初めや佳子さんの選挙活動について調査していきたいと思います。
- 石破茂の妻の佳子さんとの馴れ初めは?
- 学歴もすごい!高校は女子学院?石破茂の妻は丸紅出身で学歴もすごい!
- 石破茂の妻としての役割や影響力は?
- 石破茂と妻の家族構成
石破茂の妻の佳子さんとの馴れ初めは?
石破茂さんと妻の佳子(旧姓:中村佳子)さんは、慶應大学法学部の同級生です。
大学在学時代から茂さんは思いを寄せていたようですが、実際にお付き合いしたのは、大学卒業してから3年ほど経過したあとだったようです。
石破茂さんの政治家としての人生は、佳子さん抜きでは考えられないと自他ともに認めています。
それでは、石破茂の妻の佳子さんの馴れ初めについて調査していきたいと思います。
引用:日刊スポーツ
石破茂の妻の佳子さんに一目惚れ
石破茂さんは、1975年に慶應大学法学部法律学科に進学しました。
1年の時に、第2外国語であるドイツ語のクラスで、佳子さんと出会いました。
大学1年生の時だったな。4月だったかな。図書館からさ、彼女が本を小脇に抱えて、トントントンと降りてきて、呆然としてね。こんなきれいな女が世の中にいたのかって
Youtubeのインタビューで石破さんは、佳子さんとの出会いをこう語っていました。
一目惚れだったそうです。
引用:ネット画像検索(大学時代の茂さんと佳子さん)
一方の佳子さんの茂さんの第一印象はとても悪かったそうですよ。
大学1年生の頃、授業で自己紹介をしたときに、『君は女子学院出身でしょ? うちの姉も女子学院なんだけどね~』と意味ありげに声を掛けられて、すっごい印象が悪かったのを覚えています。上手く自己紹介をしようっていう気がないというか、悪気は本当にないんだけれど(笑)
引用:週刊文春
当時の石破さんは、「石破のヤマかけ講座」というものを開設していて、自分で予想問題を作ったり、模範解答も準備して、クラスメイトなどに教えていたそうです。
石破さんは、佳子さんに気に入られるために、相当勉強を頑張ったようですね。
《あの頃、わたしは彼女に気に入られたい一心で、実によく勉強しましたね。スポーツができるわけでもない。同級生のように家に高級外車があるわけでもない。あるいは中等部から上がってきた同級生のようなナンパのテクニックを持っているわけでもない……。 もう勉強するしか武器がなかったからです》
引用:デイリー新潮
2年生の時に、見事に学期末試験の出題を当てて、佳子さんとの距離が縮まったそうです。
それでも大学生になるまで、まったく女っ気のなかった石破さんは佳子さんに告白することもできず、たまに食事に行く程度だったそうです。
最初のプロポーズは撃沈
石破さんは、大学卒業の時に、佳子さんにプロポーズをします。
石破氏と佳子夫人は慶大法学部の同級生。学生時代は友人関係だったが、石破氏が卒業時に「結婚を前提に交際してください」と告白。しかし、佳子夫人はお断り。当時について、佳子夫人はスポニチ本紙の取材に「まだ若くて結婚が考えられなかった。ちょっと重かった」と振り返っている。
引用:スポニチ
それまで女性と付き合ったことがなかった石破さんですが、いきなり結婚を前提に告白するとは、なかなかぶっ飛んでますね。
しかし、佳子さんはこのプロポーズを断っています。
「だいたいあなたは、司法試験を受けて弁護士になるとか、大学に残るとか言ってたけど、結局、わたしと結婚したいから、早く就職して稼げるようになりたいんでしょう。わたし、そういうの、生き方として許せません」
引用:女性自身
出会って8年で結婚
大学卒業後、石破さんは銀行員に、佳子さんは総合商社に就職し、疎遠になりました。
しかし1981年に石破さんの父・二朗さんが亡くなった時に再び再会します。
佳子さんが友人たちと連名で香典を送ったことをきっかけだったそうです。
「駆け出しの銀行員だった彼は、『定期預金口座の新規開設』の営業ノルマがあったようなんです。それで私に“口座を作ってもらえないか”と連絡がきて、ランチをしました。今思い返せば、口実だったのかもしれません(笑い)。でも、学生時代から頼りになる人だったので、そうして会って仕事の悩みを話すうちに、打ち解けていきました」
引用:週刊ポストセブン
これがきっかけでお付き合いに発展したそうです。
そして、1983年、出会ってから8年で結婚しました。
石破茂と石破佳子の結婚生活は?夫婦喧嘩は?
石破茂さんは“永田町随一の愛妻家”として知られています。
引用:日本経済新聞
「(結婚して)もう41年にもなるんですかねえ。知り合ったのは1975年(昭50)。私のいいところも悪いところもよく知っているのが、私の配偶者なんだろうなと思っています」と佳子さんについて語り「やっぱり政治家の奥さんって、大変なんです。自分があれをやりたい、これをやりたいということを言わないで支えてくれているというのは、本当に、感謝してもし尽くせない。日々、思っているところであります」と、感謝の思いを口にしていた。
引用:日刊スポーツ
石破さんは、奥さんへの感謝を各方面でおっしゃっていますね。
また、今政治トピックのひとつである”夫婦別姓”への考え方も、女性への配慮や権利もしっかり考えていて、普段から家族や家庭について、しっかり考えていることがわかります。
また、子育てにも積極的に参加していたようです。
「2人の子供が小さいときには、空いた時間があれば、海やドライブに連れて行ってくれた。マメな性格で、学生時代にはラブレターをよく貰いましたし、結婚41年の今も、ほぼ毎日、電話をかけてきてくれます」
引用:週刊文春
地元と東京を行ったり来たりする生活が多い政治家の石破さんですが、毎日欠かさずに電話をするのは、本当にマメですね。
「夫は“外弁慶”なんでしょうね。外では厳しく言うこともありますが、家庭ではとにかく穏やかな人です。毎日、仕事帰りには“これから帰るよ”と電話をくれますし、休日はスーパーまで運転してくれ、私の誕生日にもプレゼントは欠かしません」
引用:週刊ポストセブン
家庭では穏やかな性格のようで、夫婦喧嘩のエピソードもほとんどありませんでした。
さすが“永田町随一の愛妻家”と呼ばれるだけありますね。
学歴もすごい!高校は女子学院?石破茂の妻は丸紅出身で学歴もすごい!
石破佳子さんは、女子学院中学校・高等学校の出身です。
女子学院は、東京都千代田区にある名門校で、日本最古の学校だそうです。
また、偏差値75と女子中高一貫校でトップクラスの学力です。
引用:TBS
すごくモテた慶應義塾大学時代
石破佳子さんは、慶應義塾大学法学部の卒業です。
石破茂さんとの出会いは、大学(三田キャンパス)の図書館だったそうです。
佳子さんは、美人ですごくモテたそうです。
彼女はものすごい美人で人気者。モテましたよ。一方の石破はモテなかった(笑)
引用:FLASH(大学の同級生へのインタビュー)
石破さんは、佳子さんに一目惚れしたというエピソードは有名で、結婚41年経った今でもそう語っています。
当時の出会いを、石破さんは天地がひっくり返るくらい驚いたんだそうです。
「それは天地がひっくり返るくらい驚いたね」
丸紅に入社した経緯と業務内容について
佳子さんは、慶應大学卒業後は丸紅に就職します。
丸紅は三菱商事・伊藤忠商事・三井物産・住友商事と並ぶ日本トップ5の総合商社です
佳子さんが丸紅に就職したのは、1979年です。
慶應義塾大学法学部を卒業したエリートの佳子さんですが、丸紅でのキャリアはどんな感じだったのでしょうか?
昭和50年代は、女性の社会進出があまり進んでいませんでした。
1985年に『男女雇用機会均等法』が成立し、女性の社会進出が進みます。
佳子さんはその前の1983年の結婚を機に退職しています。
いくら容姿端麗でエリートだった佳子さんでも、男尊女卑の色濃い時代に入社3年で華々しい活躍ができたかどうかは不明です。
もし、佳子さんが丸紅でキャリアを築いていたら、結婚を機に退職していなかったかもしれませんね。
石破茂の妻としての役割や影響力は?
石破茂さんの政治家として活動や成功は、妻・佳子さんの存在なくしては語れないようです。
石破さんが、自民党の幹事長として、選挙期間中に地元に戻れなかった選挙でも、佳子さんの活躍で石破さん本人が居ない状態で見事当選を果たしています。
石破佳子さんの地元鳥取での活躍も調査していきたいと思います。
引用:毎日新聞(2012年の衆議院選挙)
選挙活動でのサポート
先日、第102代首相に任命された石破茂さんは、妻・佳子さんへ感謝をしています。
石破新総裁
引用:テレビ朝日
「この間が41回目の結婚記念日だったんですけど、本当に議員になって38年、ほんとよくやってくれたなと思います。くれたなという言い方はいかんな。でもこの人(佳子夫人)がいないと今の私はないのでね」
2012年の衆院選では、地元に戻れない石破さんの代わりに選挙活動をしました。
引用:テレビ朝日
2012年の衆院選では、党の幹事長として応援演説のために全国を回る夫に代わって自ら選挙カーに乗り込み、見事、当選に導きました。
引用:テレビ朝日
多くの議員の奥さんが、選挙活動や政治家としての仕事のサポートをしていますが、本人に代わって選挙活動をし、しかも当選させるというのは、なかなか他に例がないのではないでしょうか。
地元鳥取では、石破さんが当選し続けられるのは、佳子さんのおかげとも言われています。
石破氏にとって佳子夫人は“名プロデューサー”。選挙区の鳥取県では「石破さんが選挙に強いのは半分以上が奥さんのおかげ」と評される。清楚な外見、明るい口調に加えて、どんなことでも「教えていただいてありがとうございます」と頭を下げる腰の低さが好感を持たれている。
引用:スポニチ
佳子さんは、服装や立ち振舞のプロデュースもしているのだとか。
「普段の石破氏は服装に無頓着ですが、この日はスーツの着こなしが目を引いた。青のストライプのネクタイもサマになっていました」 よもや、スタイリストでも? ご本人に聞いた。 「スタイリストはいませんが、見るに見かねてっちゅう人はいるわね。“もうちょっと気を使えよ”と。ネクタイは青系がいいとは家内に言われていました」
引用:デイリー新潮
まさに石破茂さんの活躍は、佳子さんあってこそですね。
石破茂の妻の地元での活動は?
石破佳子さんは、茂さんよりも地元での人気があるようです。
明るい性格で知られ、石破氏が「地元では自分が行くよりも妻が行く方が歓迎される」と漏らすほど。女性支持者でつくる石破首相の後援会の会長、西川八重子さんも「かわいらしい人。(石破氏)本人より人気があった」と語った。
引用:朝日新聞
防衛大臣や農林水産大臣、幹事長など多くの重要ポストを努めてきた石破さん。
地元鳥取での活動もなかなかできないのは当然です。
その代わりに地元で動いているのが、佳子さんなんだそうです。
「石破氏の夫人である佳子さんは、地元の会合などは、石破氏に代わってマメに出席して、明るい性格から評判もすごくいい人物です。」(自民党関係者)
引用:FLASH
石破茂の妻の現在のメディアでの取り上げられ方は?
ファーストレディとなった石破佳子さんは、現在注目の女性です。
引用:朝日新聞
首相になった夫よりも人気があると言われていますね。
それでは、現在、どのようにメディアに取り上げられているのでしょうか。
石破茂首相の妻として日本のファーストレディーとなった佳子夫人(68)。地元・鳥取県では首相をしのぐ人気と言われ、首相は著書で「選挙で候補がいない時、彼女を出したらどうかとの話が必ず出る。『先生より票は取れる』と」とつづる。
引用:時事通信
石破さん自身も、自分よりも人気があると思っているようですね。
石破さんよりも人気がある佳子さんですが、天狗になる様子はなく、いつも謙虚な姿勢がさらに人気を集めているようです。
石破氏が総裁選に勝利した9月27日、鳥取市内のホテルで支持者と共に歓喜の涙を流した。「石破の目線ではますます物が見えなくなるかもしれない。良い日本を築くため、褒めるばかりではなく、今まで通りアドバイスを寄せていただきたい」と頭を下げた。
引用:共同通信
石破さんの服装や立ち振舞へのアドバイスも支援者からの声を聞いて実践しているそうです。
佳子さんのこういった姿勢が、日本の政治に良い影響を与えていくかもしれませんね。
また、こういった妻のアドバイスを素直に聞き入れる石破さんの姿勢も素晴らしいですね。
石破茂と妻の家族構成
それでは、最後に石破茂さんと佳子さんの家族構成について調査していきたいと思います。
茂さんは、鳥取県の出身でお父さんも政治家でした。
また、佳子さんは東京都の出身ですが、父親は新潟県の出身です。
お二人の間には、娘が2人居ます。
石破茂の父について
石破茂さんの父親は、石破二朗さんです。
引用:石破茂オフィシャルブログ
鳥取県知事に4度当選したのち、衆議院議員としても2度当選していますが、任期中の1981年に膵臓ガンで亡くなりました。
生前は、田中角栄元首相と親交が深く、二朗さんの葬儀では、角栄さんが葬儀委員長を努めています。
父が鳥取県立中央病院に入院していた昭和56年8月のある朝、勤め先の銀行に母から「お父さんが今朝、『田中が見舞いに来てくれた夢を見た。嬉しかった。あれは夢だったのか』と言っていた。死ぬ前に一度会わせてあげられないだろうか」との電話があり、私はそれを田中先生に伝えたところ、「わかった。必ず行く」とのお返事。
引用:石破茂オフィシャルブログ
その言葉どおり、公判中で選挙区の新潟以外には出られることのなかった先生が鳥取に来られ、見舞って下さいました。
また、石破さんの結婚式では、角栄さんが父親代わりを務めるほどでした。
引用:読売新聞(石破茂と田中角栄)
娘について!何してる?
石破さんには、2人の娘が居ます。
結婚してすぐに政治家に転身した石破さんは、不在のことも多く、娘たちは選挙ポスターで顔を覚えたそうです。
そして’86年7月、石破議員が29歳のとき、旧鳥取県全県区より出馬。見事、全国最年少議員として衆議院議員初当選を果たした。初当選の翌年の’87年に長女が、’90年には次女が生まれている。
「夫はほとんど家に帰ってこられませんでした。そこで、玄関に夫の選挙ポスターを貼って、“お父さん。石破茂”と、娘に顔を覚えさせましたね。夫が家に帰ると、娘が“あ、ポスターの人が来た!”って(笑)」
引用:週刊女性自身
娘たちが小さい頃は、なかなか一緒に過ごす時間は少なかったようですが、高校からは上京し、同居していたそうです。
「昔は子どもの運動会や授業参観にもほとんど行けませんでした。それでも娘が中学校で演劇をするときに見に行ってもらったり、高校の卒業式にも出席してくれた。娘2人は高校から夫と一緒に東京で暮らしているので、成長してからはコミュニケーションが取れているはずです。できる限り努力してくれているので70点です」
引用:女性自身(佳子さん談)
現在は、おふたりとも社会人だそうです。
長女は東京電力にお勤めされていて、次女はエーザイに務めているという噂ですが、おふたりとも一般の方のため、性格な情報はわかっていません。
また、石破さんの孫のお話も出てこないため、独身かもしれませんね。
石破茂の妻は丸紅出身で学歴もすごい!石破佳子との馴れ初めと家族構成【まとめ】
今回は、石破茂さんとその妻・佳子さんについて調査してきました。
それでは今回のまとめです。
- 石破茂さんと佳子さんは、慶應大学の同級生で、茂さんの一目惚れ。
- 地元鳥取では、茂さんよりも佳子さんの方が人気がある
- 佳子さんは名プロデューサーで、支援者の声をしっかり聞き入れている
最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
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